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如月サラの空き家ストーリーvol.1

平凡な人生を生きた父との鮮やかな再会

空き家管理

2022-11-11

街を縦に貫く国道を曲がると、細くくねった市道に入る。
毎日バスで高校まで通った道だけれど、両側を流れる景色はすっかり様変わりしている。発売日に小銭を握りしめてファッション雑誌を買いに行った雑貨店も、インディアン・プディングが名物だったケーキショップも、もうとっくになくなっている。
近づくにつれ、少しずつ心が重くなっていく。

私の実家は、空き家だからだ。

長年、忙しさを言い訳に、なかなか帰省しようとはしなかった。
遠く離れた場所に住む娘がたまに帰ってきても、お客さん扱いしてくれるのはせいぜい到着した日の夜までだ。
翌日からは小言が始まり、親子げんかに発展することもあった。

それでも休暇のたびに実家に帰っていたのは、義務感ばかりからではない。
好奇心旺盛な父に、今度はどんな面白い話をして聞かせようか。夫婦ふたりでは行かないというレストランで、母とどんなおいしいものを食べようか。
そう考えながら通ったこの道で、今はひとり車のハンドルを握っている。

電話口の母の様子が何か変だなということには、なんとなく気がついていた。けれど、救急車で運ばれるほどとは思わなかった。
急いで帰省した時、母は既に入院しており、私は信じられない思いで書類にサインをした。

いつ退院できるかわからない。そう告げられて、父と今後のことを話した。
掃除も洗濯も、食事の支度もできる父だったが、さすがにひとりにするのが心配だったからだ。ヘルパーさんをお願いするなどの提案をすべてきっぱりと拒絶し、自分は大丈夫だと言った。
私はそのまま何もできず、自分の暮らす街へと帰らざるを得なかった。

あの時、父はすぐにでも母が退院してくると考えていたのだろう。たびたび電話がかかってきては「お母さんの退院はまだなのか」と私に聞いた。
病院からの連絡は私が引き受けていたからだ。

命に別状はないものの母の容態はなかなか上向かず、退院の見込みすら立たなかった。
私自身が苛立っていたこともあり、父から電話がかかってくるたびに大げんかをするようになった。
そのうち、毎月、母の入院費を支払ってもらうためにメールするだけになった。

半年ほど経ったある月、メールに返事が返ってこなかった。電話をかけてみたが、出なかった。
それだけのことだったが、ふと嫌な予感がした。
実家の鍵を預けてある叔母に電話をかけ、見に行ってもらった。
父は自室でうつ伏せに倒れ、死んでいた。郵便受けにたまった新聞から、一週間経っていたことがわかった。4匹の老猫だけが残されていた。

父親が好んで過ごしていたキッチン
父親が好んで過ごしていたキッチン

慌てて仕事の手を止め、実家へ移動した。警察による事情聴取、検視、葬儀、火葬。怒濤のような数日が過ぎた。主治医の判断で、入院中の母には当面、父の死を知らせないことになった。すべてが終わり、ぽつんと実家にひとり取り残された。
夕暮れが迫ってくる。帰ってきたよと父が車を車庫に入れる音も聞こえなければ、母が夕餉の支度をする音も聞こえない。ただ暗くなってゆく寒い家の中で、私は初めて声を上げて泣いた。

それでも私自身の生活は続いてゆく。いつもの暮らしに戻ると、あっという間に時間が過ぎていった。
数か月後の次の休暇で実家の様子を見に帰り、驚いた。それは私の知る家ではなかった。

雑草のびっしり生えた庭。隣の家に覆い被さる庭木。散り放題の枯れ葉。
一番、衝撃を受けたのは、誰かが投げ込んだのか風で飛んできたのかはわからないけれど、空き缶やペットボトルが庭に散乱していたことだった。
鍵を開けて家に入ると、重く湿った空気がよどんでいた。カラカラに乾いた排水溝から蜘蛛が這い出てきた。

その時初めて、父と母がこの家を日々、手入れしながら生き生きと保っていたのだということを知った。
たまに帰っては文句を言うばかりで、私はそのことに気がつかなかったのだ。お父さん、お母さん、ごめん。知らなかったよ。

母がここに帰ってくることができるかどうか、今はわからない。けれど、私には実家を維持していく役目があると思った。
それが父の最後の願いなのではないか。この家でまた、家族が笑い合える日が来ると信じていたのではないか。
小さな家で、小さな誇りをもって人生を全うした、平凡な人。そんな父と、改めてこの家で鮮やかに再会した。そんな気がしている。

友人が片付けを手伝ってくれた
友人が片付けを手伝ってくれた

写真提供:如月サラさん

プロフィール

如月サラ

如月サラ

エディター・エッセイスト。出版社で女性誌の編集者を経て、50歳で大学院進学を機に独立。中年期女性のアイデンティティについて研究しながら執筆活動を開始する。父親の突然の孤独死から始まった、空き家、相続などの体験をまとめた書籍『父がひとりで死んでいた』(日経BP)が話題に。現在も東京と実家を往復しながら空き家の維持管理を行っている。

著者プロフィール
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