「おらほのNo.1」〜福島〜 多くの有名な曲を作曲し野球殿堂入りを果たした古関裕而氏の誕生秘話に迫る

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「〜ああ 栄冠は 君に輝く〜♪」甲子園球児に向けられた曲として有名な『栄冠は君に輝く』を作曲した古関裕而氏。おそらくこの曲を知らない方はいないのではないでしょうか。そして、同氏は東北電力社歌の作曲者でもあります。今回は、福島が生んだ古関裕而氏について紹介します!

福島市民の悲願!野球殿堂入り

 福島市には、同市出身で数々の名曲を世に残した古関裕而氏の業績を称え、後世にその業績と古関メロディーを広く継承していくための施設「古関裕而記念館」があります。

 同館の村上敏通館長が、何度も「とても嬉しかった」と当時を振り返り感慨深く話してくださったのは、2023年1月13日に福島市の名誉市民第1号の古関裕而氏が「野球殿堂入り」を果たしたときのことです。
 古関裕而氏の「野球殿堂入り」は4年連続5回目の挑戦でようやく手にした栄冠です。
 野球殿堂入りの提唱者は、慶応義塾大学名誉教授の池井優教授。古関氏が亡くなられたのちに国民栄誉賞を打診された遺族は「亡くなった者がいただくのは申し訳ない」と断りました。その話を聞いた池井教授は「『闘魂こめて』『六甲おろし』『栄冠は君に輝く』『我ぞ覇者』『紺碧の空』など多くの野球にちなんだ名曲を作曲した古関氏であれば、必ずや野球殿堂に選出される」と考え、2018年11月に木幡浩福島市長を会長とする「野球殿堂入りを実現する会」が発足しました。
 殿堂入りの発表当日は「野球殿堂博物館から通知があるまで、全く(殿堂入りを果たしたことを)分からなかった」と話す村上館長。満面の笑みを浮かべ「4年連続5回目の挑戦での殿堂入り、とても嬉しい」と発表当日を思い出しながら、当時の様子を丁寧に教えてくださいました。

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古関裕而記念館 村上敏通館長

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インタビューを受ける村上敏通館長

作曲家 古関裕而氏の誕生秘話

 古関裕而記念館の村上敏通館長と本間真美さんに古関氏についてお伺いしたところ、館内の案内を含め丁寧にご説明いただきました。

取材班
 古関裕而氏の誕生やエピソードについて教えてください。

本間さん
 初めに、古関裕而記念館は1988年(昭和63年)11月12日、福島市制80周年記念事業として開館しました。
 古関先生は1909年(明治42年)福島市大町に呉服店の長男として誕生。父親が音楽好きだったこともあり、幼いころから音楽に触れて育ちました。転機となったのは小学校担任の遠藤喜美治先生と出会ったことです。遠藤先生は音楽の指導に力を入れており、詩に曲をつけさせたり遠藤先生が作曲した歌を歌ったりする授業を行っていました。10歳の頃には、楽譜の読み方を覚え作曲に夢中になり、どんどん音楽の世界にのめり込んでいったそうです。その後、海外の有名な作曲コンクールに『竹取物語』を含む5曲を応募したところ、1929年(昭和4年)に日本人で初めて国際的な作曲コンクールに入賞する快挙を成し遂げました。その翌年、日本コロムビア(株)顧問の山田耕筰氏の推薦で日本コロムビア(株)専属作曲家として活動を始めることとなりました。
 作曲家としてデビューした古関先生は1948年(昭和23年)に全国高等学校野球大会の大会歌『栄冠は君に輝く』や1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックの行進曲『オリンピック・マーチ』など数多くのヒット曲を作曲し、1989年(平成元年)に惜しまれつつ逝去されました。また、生前1979年(昭和54年)にはこれまでの功績と栄誉を称えられ福島市の名誉市民第1号に選ばれています。

取材班
 村上館長がおすすめする館内の展示は何ですか。

村上館長
 すべての展示がおすすめですが、日本コロムビア(株)専属作曲家として東京に上京した際の書斎を再現した『作曲部屋』です。作曲家であればピアノやギターなど音が鳴るものが置いてあるのが一般的ですが『作曲部屋』にはそれがありません。古関先生は絶対音感の持ち主で、頭の中にイメージした曲をすぐに音符に変えることができる才能を持っていました。それも、だれもが持ち得る才能ではなく殊のほか飛び抜けた才能を持っていたのです。

作曲家 古関裕而氏の誕生秘話 イメージ1

作曲に勤んだ書斎を再現した「作曲部屋」(東京上京時)

本間さん
 作曲部屋に展示されている筆記用具などすべてが古関先生の当時の私物です。何十年の時間が経過しても綺麗な状態の品々を見ると、几帳面な性格が想像できます。また、展示の音響の効果音として“楽譜のページをめくる音”や作曲するために“鉛筆を走らせる音”も聴こえてきます。
 3脚並ぶ机は全て古関先生のものだそうです。作曲作業中、頭に別な曲が浮かぶと机を移動しまた別な曲が浮かべば移動する。それを繰り返し同時進行で作曲作業を行っていたそうです。

村上館長
 その他のおすすめ展示は、先生の頭の中を表現した『古関裕而サウンド・トリップ』や奥様である金子(きんこ)さんから古関先生に送られた品々、古関先生が金子さんに宛てたラブレターなどの手紙、結婚後に金子さんに年賀状を送っていたなどの心温まるエピソードを知ることができる『古関裕而ファミリーウォール』です。

本間さん
 さらに、作曲家としてデビューしてから大好きな音楽一筋に歩み、多彩な曲で人々を魅了してきた功績を紹介する『古関裕而の足跡』などの展示もありますので、ぜひ足を運んでいただきゆっくりご覧いただきたいです。

作曲家 古関裕而氏の誕生秘話 イメージ2

古関氏のモニュメント(中央)と歌い継がれる古関メロディーの造形

作曲家 古関裕而氏の誕生秘話 イメージ3

館内をご案内いただいた本間真美さん

 今回の訪問とインタビューで古関ご夫妻の仲睦まじい様子が想像でき羨ましく思った私達(取材班)です。自筆譜やレコード、写真パネル、古関裕而氏の描いたスケッチなど貴重な資料が多数展示されています。ぜひ、一度訪れてみてください。

福島市のいろいろな場所に古関裕而氏の功績を発見!

 NHK「朝の連続テレビ小説」として2020年3月30日から11月27日まで放送された「エール」。主人公は古関裕而氏がモデルです。多くの方がご覧になり記憶に新しいと思います。福島市にはロケ地となった数々の撮影場所があります。また、JR福島駅では新幹線の発着音に『栄冠は君に輝く』が、在来線の発着音に『高原列車は行く』が採用されています。
 さらに、福島市内には古関氏の作曲音を流しながら市内を循環するメロディーバスが走っています。福島市に一度訪れていただくと驚くほど多くの古関氏の功績に出会うことができます。
 ちなみに、『福島夜曲(福島セレナーデ)』や『福島行進曲』という「福島」の地名が入る曲がありますが「デビューするなら“福島”が入る曲でデビューしたい」と自ら選んでレコードデビューしたそうです。
 東京オリンピックの行進曲の作曲を依頼された際には「日本的なものを」とリクエストされ、曲の最後に「君が代」のフレーズを入れて日本を表現したというエピソードもあるそうです。

福島市のいろいろな場所に古関裕而氏の功績を発見! イメージ1

東京世田谷ロータリークラブ・福島ロータリークラブ 古関裕而記念館 展示パネル寄贈共同事業

 2023年3月6日、東京世田谷ロータリークラブ(以下、RC)は創立60周年記念事業として、福島RCと合同で『ロータリーソング・日も風も星も』(古関氏作曲)に関する楽譜やレコードなどをパネルに納め、古関裕而記念館に寄贈しました。
 なぜ「東京世田谷RCと福島RCが?」と疑問を持つかもしれませんが、古関氏は東京世田谷RCの第13代会長を務めていたためです。
 この度の寄贈に至った経緯は、福島RCのある一人の会員が古関氏の作業部屋にあったRCのロゴが入った硯箱を見つけたことから始まります。

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ロータリークラブのロゴ入り硯箱

 同会員は、古関氏が東京世田谷RCの会長を務めていたにもかかわらず、硯箱以外に東京世田谷RCに縁のある品が見当たらないことに気づきました。そこで、福島RCから「東京世田谷RCに在籍していた証を残したい」と東京世田谷RCに打診をしたところ、快諾の返事をいただき共同での寄贈が実現したのです。なお、パネルには古関氏が東京世田谷RCに入会した当時の写真や会長時代の会報なども納められています。

 贈呈式には福島RCの相良元章会長、東京世田谷RCの矢作千鶴子会長をはじめ、たくさんの両RC会員が出席し除幕などが盛大に行われました。矢作会長は「古関氏が東京世田谷RCの第13代会長に就任され、ソングリーダーとしても元気な歌声を高らかに響かせていたのだと思います。そして、こうして福島とのご縁を運んできてくださいました。これからも福島との絆を深めてまいりたいですし、この日を迎えられたことを大変嬉しく思います」とご挨拶されました。

東京世田谷ロータリークラブ・福島ロータリークラブ 古関裕而記念館 展示パネル寄贈共同事業 イメージ2

古関裕而記念展示パネル寄贈式
左から 福島RC相良元章会長 東京世田谷RC矢作千鶴子会長
東北電力(株)福島支店日下部達執行役員福島支店長 村上敏通館長

東京世田谷ロータリークラブ・福島ロータリークラブ 古関裕而記念館 展示パネル寄贈共同事業 イメージ3

寄贈パネル「ロータリーソング・日も風も星も」

 今回、寄贈式を取材し福島だけではなく遠く離れた世田谷でも活躍されていた古関氏を感じることができ、その偉大さを実感しました。

東北電力にもかかわりが深い古関裕而氏!

 東北電力の社歌は、作曲が古関裕而氏によるものです。
 古関氏はスポーツ、ラジオドラマ、歌謡曲・演劇・校歌・応援歌、県・市・町民歌、社歌等、多岐のジャンルにわたり作曲活動をしていました。作品数は約5,000曲にもおよびます。その中の一つに「東北電力社歌」もあります。さらに「東北電力学園歌」「東北電力電労の歌」「東北電力行進曲」「東北電力映画テーマ」「東北電力ラジオテーマ」と、今回確認できただけで東北電力にかかわる曲を6曲も手掛けていたことが判明しました。
 ただ、今となっては社歌と電労歌以外はどのような曲だったのか分からず、気になるばかりです。

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東北電力にもかかわりが深い古関裕而氏! イメージ2

 数多くの曲を世に生み出した古関氏。いまでも耳にしたり、歌い続けられている名曲ばかりです。古関裕而の軌跡を見つけに、ぜひ福島市を訪れてみて下さい。