各県が順番に登場する「おらほのNO.1」〜福島〜復興を実現する人たちの情熱に迫る

各県が順番に登場する企画「おらほのNo.1」〜福島〜復興を実現する人たちの情熱に迫る イメージ

 東日本大震災、東京電力福島第一原子力発電所事故により甚大な被害を受けた福島県。震災から11年が経過した今、地域の復興に情熱を傾け活動している人たちを紹介します!

元外務省官僚が浪江町へ移住

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浪江の記憶と未来を描く「なみえアートプロジェクト」

 東京電力福島第一原子力発電所事故により一時全町民が避難した浪江町。
 JR浪江駅前周辺では、水素や再生可能エネルギーを活用した大規模な再開発プロジェクトが計画されています。
 駅前にある建物の壁面に飾られた、色鮮やかなアートを眺めているのは、元外務省官僚の高橋大就(だいじゅ)さん。
 「東の食の会」の専務理事として、三陸の「Cava(サヴァ)缶」といったヒット商品を生み出し、東北の食産業の振興や風評被害の払拭に取り組むほか、「NoMAラボ」の代表理事として避難区域が設定された福島県内12市町村のコミュニティ再生に力を注いでいます。

 震災の直後から福島県浜通り地域を何度も訪れていた高橋さん。当時はバリケードで封鎖された町を何もできずに素通りをするだけで、大きな無力感を感じていたと振り返ります。
 震災から10年が経った2021年4月1日。高橋さんはある大きな決断をします。
 浜通り地域の現状を考えたときに、何も行動しないという選択肢はなく、自分の人生のけじめとして、地域が直面する課題に向き合い、復興に取り組むことを決断。その第一歩として浪江町に移住したのです。

分断を生み出す境界をなくす

 浪江町では現在も9割の方が町外で生活しています。時間の許す限り町外に避難されている方のもとへと足を運ぶ高橋さん。ある高齢者の男性が発した言葉が強く印象に残っているそうです。
 「避難先で新しい仲間もできたけれど楽しくない。寂しい」。避難先では、地元の方々の思い出話に入れず、故郷の思い出や記憶を共有できるような相手がいないというのです。高橋さんは「思い出や記憶の共有」がいかにコミュニティにとって大切なのかを、そして分断を生み出す境界をなくすことの必要性を改めて認識したといいます。

 浪江駅前にある壁画アートも、避難に伴う時間の分断により発生した過去と未来の境界をなくす取り組みです。アートには住民が受け継いでいきたい町の思い出や記憶と、実現したい町の未来が描かれています。「新しいまちづくりが進められていくからこそ、昔の記憶や思い出を住民同士で共有し、未来へと繋いでいく必要がある。これにより確実に町の歴史はつながっていく」と話してくれました。

「当事者意識」と「ワクワク」

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浪江町の魅力を話す高橋大就さん

 高橋さんに浪江町の魅力をお伺いすると、迷うことなく次のように話してくれました。
 「一度は全員が町外に避難せざるを得なかったが、自分の意思で町に戻り生活している住民は、一人ひとりがコミュニティの再生を自分事として捉えている。移住者に対してもよそ者扱いすることなく、町のために活動してほしいと言ってくれる。こんな場所は世界中探してもここしかない」

 地域の課題について、多くの人はまず役場に相談しようとするが、浪江町では自分たちで解決策を考えるとのこと。
 町外に住んでいる方も多いため、町では手入れされていない土地の雑草処理という大きな課題がありました。そこで高橋さんは住民たちとともに「チーム対抗草刈りバトル」を開催したそうです。税金は使わずに、役場の方も一個人として参加し、町の課題解決に取り組む。まさに全員が「自分事」と捉えて活動する姿に高橋さんはワクワクが止まらないそうです。
 高橋さんは、壊滅的な打撃から再建した請戸漁港で水揚げされる「シラウオ」のPRにも力を入れています。「請戸のシラウオは世界一」でありスターとなりうる食材と評する高橋さん。世界一のスターを見つけ、ブランドとして築き上げる取り組みに、当事者として携われることに、今もワクワクが止まらないそうです。

きのこ嫌いの生産者がきのこに情熱を注ぐ

遠藤きのこ園 代表取締役 遠藤雄夫さん イメージ1

浪江町の魅力を話す高橋大就さん

 今なお村外での生活を余儀なくされている方が多くいる川内村。豊かな森林が広がる山道を進むと、白い大型ハウスが私たちを出迎えてくれました。

 ここは、遠藤きのこ園。社長の遠藤雄夫(たけお)さんは、震災当時、川内村役場職員でした。震災後は復興対策課として企業誘致などの新しい仕事も多く、無我夢中だったと振り返ります。
 しかし、無我夢中だったのは、遠藤さんのご両親も同じ。震災で休業を余儀なくされたきのこ園に避難先から足を運び、除染作業や片付け、出荷するはずだったきのこの処分など、きのこ園の再開に心血を注いでいたそうです。

 実は、きのこをまったく食べられないというきのこ嫌いの遠藤さん。当初はきのこ園の再開に反対でしたが、ご両親のひたむきな姿を見るにつれ、様々な思いが脳裏を駆け巡っていきました。
 「今後も両親だけできのこ園を続けていくのは難しい」「役場での仕事はやりきったのではないか」
 そしてついにある思いが遠藤さんを突き動かします。
 「両親が大事にしてきたきのこ園を自分の手で残したい」
 震災から5年目の2016年4月。遠藤さんは川内村役場を退職し、就農したのです。

 シイタケは「生き物」であり、栽培するのがとても難しいと話す遠藤さん。
 植菌という最初の行程から、収穫できるまで約5カ月。思うようにいかないことがあるものの、自分の中で理想としているシイタケが育ったときに最もやりがいを感じるといいます。収穫は1日2回で技能実習生を含む15人ほどで作業をしているとのこと。実習生に優しく話しかける遠藤さんの様子が印象的でした。

省エネ効果の高い屋内農場ハウスで生産した川内村産のシイタケを全国へ

 同園では、一般的な農業用ハウスのほか、プランツラボラトリー(株)が提供する「省エネ屋内農場システム」も採用しています。
 4年前に初めて同社の屋内農場システムを取り入れ、省エネ効果を高く評価しています。
 また当社のエネルギーマネジメントシステム「exEMS」も導入。「電気の使い方が目に見えるので、エネルギー管理の意識が変わる」と話してくださいました。よい環境で高品質なシイタケを栽培したいという遠藤さんの思いが農場システムの採用にもつながっていると感じました。

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省エネ屋内農場システムの空調ハウス

 遠藤きのこ園で栽培されたシイタケの多くは、農業協同組合への出荷後、「福島県産」としてスーパーに陳列されます。しかし、遠藤さんがこだわるのはあくまで「川内村産」のシイタケとして全国のお客さまへ届けること。
 「福島県産の農作物が風評被害に苦しむ中、脇役ではなくメインの食材として使ってもらえるシイタケを作りたかった」と教えてくれました。
 その思いが結実したのが独自ブランドである「ひたむき椎茸」。
 ひたむき椎茸は、「肉厚であること」と「薫り高いこと」が特長。栽培室では、これまでに見たことがないほど立派なシイタケが栽培されていました。
 名前の由来を伺うと、ご両親が震災後も負けずに黙々と「ひたむき」にきのこの栽培を続けていたからとのこと。今では高級食材として首都圏の飲食店にも出荷されています。
 遠藤さんは、今日も「ひたむき」にシイタケ栽培に取り組み、シイタケと向き合っています。

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これからも実現していく福島

 今回取材を受けてくれた高橋さん、遠藤さんには「思い描く今後の福島。未来への展望は」という質問をぶつけてみました。

 「浪江町を幸福度No.1の町にすること。その幸せを浪江町だけでなく、浜通りや福島県全体へと広げていくことを目指す」と話す高橋さん。
 「子供たちがこの場所で生まれ育ってよかったと思える福島をつくりたい。それが自分の使命」と語る遠藤さん。

 そして高橋さんと遠藤さんは最後に、福島で復興に向けて活動されている方々に対し次のようなエールをくれました。
 「福島で活動していることを誇りに思い、地域が秘めている力を信じ、さらなる復興に向けて共に前へ進みましょう」。

 これからもきっと福島では様々な形で復興が実現していくはず。そんな気持ちを抱かずにはいられません。
 私たちも地域に寄り添いながら、福島の復興を支え続けていきます。

<高橋さんに関するHPはこちら>

東の食の会 https://www.higashi-no-shoku-no-kai.jp/

NoMAラボ https://noma-lab.jp/